大判例

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名古屋地方裁判所 昭和58年(行ウ)27号 判決 1985年9月20日

原告

杉浦衛

右訴訟代理人

原山剛三

若松英成

被告

高浜市長

石川敏治

右訴訟代理人

鈴木匡

大場民男

鈴木和明

吉田徹

主文

本件訴えをいずれも却下する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求める裁判

一  請求の趣旨

(主位的)

1 被告は、高浜市が建築を予定している高浜市立病院の本体、電気、空調、給排水衛生設備の各工事の請負契約に基づく工事を進行させ、かつ、これによる請負代金の支出をしてはならない。

(予備的)

2 被告は、高浜市が設置した高浜市立病院の事業を遂行してはならない。

3 訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する被告の答弁

(本案前の答弁)

主文同旨

(本案についての答弁)

1 原告の請求(主位的)を棄却する。

2 訴訟費用は原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  原告は高浜市の住民である。

2  高浜市は高浜市立病院(以下、「本件病院」という。)の建設を計画し、その総建築工事費(外構工事費の見込額を含む。)は一四億二五〇〇万円であるところ、高浜市議会は、昭和五八年一〇月一九日開催の臨時会において、右病院建設のための左記の工事請負契約の締結につき、地方自治法(以下、「地自法」という。)九六条一項五号所定の議決をした。

(一) 病院建築工事

請負人  株式会社銭高組

請負金額 七億六〇〇〇万円

(二) 電気設備工事

請負人  三和電気土木工事株式会社

請負金額 二億五〇〇〇万円

(三) 空調設備工事

請負人  株式会社大気社

請負金額 二億一八〇〇万円

(四) 給排水衛生設備工事

請負人  浦安工業株式会社

請負金額 一億六一〇〇万円

3  右病院の建設とその事業の継続は、次のとおり、違法である。

(一) 近年、地方公共団体が経営する病院事業は、経済の低成長化による国家、地方公共団体の財政の逼迫のため国民健康保険、社会保険などのいわゆる公的医療の「診療報酬の適正化」が叫ばれ、医療費が全体として厳しく抑制される方向のもとにあり、地方医療機関の新・増設や医師の過剰などによる医療機関相互の間の競争が激化し、これに患者数の減少という現象が加わつて、その経営基盤はきわめて脆弱なものとなつている。

このような自治体病院をとりまく経営条件の悪化が原因して公営病院事業の経営は危機に瀕しており、例えば昭和五五年から同五六年にかけて、赤字経営のそれの全体に占める割合は四五・六パーセントから五三・四パーセントへと増加して、赤字経営に転落した自治体病院は過半数を占めるに至つた。一般会計からの繰入による赤字補填額は五五年度の一、七八七億円から五六年の二、三三四億円へと一年間に三割も増加し、この傾向は弱まるどころか一層強くなつている。かような状況は国立医療機関についても同様であり、行政改革の観点から今後一〇年間を目途に相当数の国立病院や診療所の統廃合を進めることが閣議決定されている。

愛知県下には名古屋市を除く二九市のうち一七市に一六の市立病院があるが、そのうち一四病院が赤字経営であり、その赤字額は単年度で一億円から三億円にものぼつている。

(二) 高浜市内には二八にのぼる民間医療機関が存し、自動車で数分で往来できる隣接の碧南市には小林病院(一〇二床)、新川中央病院(九二床)、加藤外科(七〇床)があり、昭和六三年には碧南市民病院(三〇〇床)が営業を開始することになつている。

近隣の地域には公立病院や規模の大きく医療水準の高い病院があり、高浜市において市立病院設置の必要性は殆どない。市立半田病院(三八六床)、西尾市民病院(四五二床)、市立岡崎病院(四九二床)などの自治体病院の他、安城市には更生病院(五六三床)、刈谷市には旧刈谷豊田病院、すなわち、刈谷総合病院(五三二床)、豊明市には保健衛生大付属病院(九三三床)があり、それらは保健衛生大病院を除けば高浜市から四なし九キロの近距離にあり、自動車で一〇分ないし二〇分を要しない。

これら病院が近隣市にあるため、これまで緊急患者ですら右病院での治療を受けていたのであつて、高浜市内に公立病院の存在しないことが市民の健康と生命を危うくしたことはかつてなかつたのである。

(三) 以上のとおり、近隣地域に公立病院や民間病院が多数存在し、市民はこれらの病院で充分の治療を受けることができ、何ら支障はなかつたのであるから、人口が約三万一〇〇〇人と少なく、歳入規模も僅か年間五二億円にすぎない高浜市が市立病院を設置する必要性は存しないのである。そのうえ、前記のとおり自治体病院の多くは経営的に苦しく、赤字経営が今後とも増加することが容易に予想され、本件病院が前記の近隣病院と異なつて健全な経営を確保できる保障は何もないのであるから、その設置の必要性を認めることができないのである。

いうまでもなく、住民の福祉の増進をはかる必要が存するならば、本来企業の採算性を度外視しても地方自治体は公営企業を経営するのが理想であろう。しかし、法は同時に「企業の経済性を発揮する」ことを経営の基本原則として定めている(地方公営企業法三条、なお二条二項参照)のであるから、経済性を発揮できないか、あるいは発揮してもなおかつ多大の財政的負担を自治体に及ぼし、広汎にわたる自治体の業務に対する障害を生じたり、市民生活を圧迫させたりするならば、それは法の許容するところではないのである。

本件病院が住民の福祉向上にとつてきわめて有意義な価値をもつならば格別、そうでないことが明らかになつているのに拘らず、甚大な財政圧迫を向後何年間にもわたつてもたらす本件病院の設置は、議会の決議を経ているとは言え、その違法が治ゆされるものではない。

(四) さらに本件病院設置に要する総事業費は、前記建築工事費のほか用地取得費、医師住宅建設費、看護婦宿舎建設費を含めると総額金二一億九七二万円の高額に及ぶのであるが、これを一平方メートル当たりの事業費に換算すれば金四二万四三二一円となる。これは他の自治体病院や民間病院の建設費に比して著しく高額であり、違法である。

(五) 地方公営企業法は自治体の経営する病院事業に同法四条などを適用すると定め、同条は「地方公共団体は地方公営企業の設置及びその経営の基本に関する事項を定めなければならない」とする。しかるに高浜市は右に関する条例を制定していない。条例を制定していないのに、病院設置のためにする病院建築工事の着手と進行は同法第四条に違背し、きわめて重大な違法がある。

4  原告は、昭和五八年九月二八日、高浜市監査委員に対し、被告の違法かつ不当な市立病院建設、具体的には前記工事請負契約の締結及び請負金員の支出の各差止めを求める住民監査請求をなしたが、同監査委員は同年一一月一二日付で請求には理由がないとする決定を下し、これはその頃原告に送達された。

5  よつて、原告は被告に対し、地自法二四二条の二第一項一号に基づき、主位的に本件病院の建設工事の進行による財産の取得、前記請負代金の支出の差止めを、予備的に本件病院の事業遂行の差止めを求める。

二  被告の本案前の主張

1  主位的請求について

(一) 本件病院の建設工事は、昭和五九年一一月三〇日、完成し、本件病院は、昭和六〇年二月一日、開院した。また、右工事の請負代金は、昭和五九年一二月二五日、その支払を完了した。

(二) したがつて、本件主位的請求は、その対象が消滅したものというべきであり、訴えの利益が消滅した。

2  予備的請求について

本件予備的請求は、地自法二四二条の二第一項各号所定の請求に該当しない不適法な訴えである。

三  被告の本案前の主張に対する原告の認否

1  被告の本案前の主張第1項(一)記載の事実は認め、同(二)は争う。

2  被告の本案前の主張第2項の主張は争う。

四  請求原因に対する被告の認否

1  請求原因1、2、4は認める。

2  請求原因3、5は争う。

第三  証拠関係<省略>

理由

一本件各訴えの適否について判断する。

1  主位的請求について

(一)  請求原因1、2、4記載の各事実及び本件病院の建設工事は昭和五九年一一月三〇日完成し、本件病院は昭和六〇年二月一日開院したこと並びに右工事の請負代金は、昭和五九年一二月二五日、その支払を完了したことは当事者間に争いがない。

(二)  本件主位的請求は、地自法二四二条の二第一項一号に基づき本件病院の建設工事の進行及び同工事の請負代金の支出の差止めを求める訴えであるが、右のとおり、既に、本件病院の建設工事は完成し、その請負代金は支払を完了しているのであるから、現時点において、本件主位的請求は訴えの利益を欠くに至つたものといわざるを得ない。

したがつて、本件主位的請求は不適法である。

なお、本件主位的請求のうち、工事進行の差止めを求める部分については、右「工事進行」は単なる事実行為であつて、後記の予備的請求と同様、地自法二四二条一項一号の差止めの対象となる「当該行為」に該当しないから、この点からも右請求部分は不適法である。

2  予備的請求について

本件予備的請求は、地自法二四二条の二第一項一号に基づき高浜市が設置した本件病院の事業遂行の差止めを求めるものである。

ところで、地自法二四二条の二第一項一号に基づく差止請求の対象は「当該行為」と規定されており、右「当該行為」とは、当該普通地方公共団体の長及び職員等が行う地自法二四二条一項所定の一定の具体的な財務会計上の行為、すなわち、公金の支出、財産の取得、管理若しくは処分、契約の締結若しくは履行若しくは債務その他の義務の負担に限られることが、規定の文言上からも、また、住民訴訟制度の趣旨からも明らかである。

しかるに、本件予備的請求は、被告に対し、既に開業した市立病院の「事業の遂行」という様々の行為(事実行為も含まれる。)から成る一般的かつ抽象的な行為の差止めを求めるものであつて、右は、地自法二四二条の二第一項一号所定の差止請求の対象となる「当該行為」に該当するものとは到底認め難いから、右請求は、差止請求の対象適格を欠く行為を訴訟の対象としている点で不適法なものといわざるを得ない。

また、仮に、本件予備的請求の趣旨を、高浜市立病院の事業遂行に関する一切の財務会計上の行為の差止めを求める趣旨に善解するとしても、このような請求の趣旨は特定を欠き、不適法なものといわざるを得ない。すなわち、地自法二四二条の二第一項一号の差止請求訴訟においては、差止対象とされている行為のされるおそれが相当の確実さをもつて客観的に予測される程度に具体性を備えているべきことが、訴えの利益あるいは争訟の成熟性といつた観点から要求されているものと解されること(同法二四二条一項参照)、また、右差止請求が許容されるのは、当該行為により普通地方公共団体に回復困難な損害を生ずるおそれがある場合に限定されており(同法二四二条の二第一項ただし書)、右請求の趣旨のような抽象的な特定の仕方では、右回復困難な損害を生ずるおそれの存否についての個々、具体的な判断が不可能であることなどの点に照らし、右請求の趣旨は、これを前記のとおり善解したとしても、不特定というべきであり、不適法なものといわざるを得ない。

二以上の次第であり、本件各訴えは、いずれも不適法であるからこれらを却下することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法七条、民訴法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官加藤義則 裁判官高橋利文 裁判官綿引 穣)

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